ほんのつい最近まで、
自分が世にも稀なる“異能者”だなんて知らずにいた。
そんな存在自体も初耳で、
自分こそが世を騒がせていた指定害獣なのだと云われ、
成程、迷惑な穀潰しには違いなかったのかと そりゃあ愕然としたもので。
先行き不安な身を引き受けてくれた武装探偵社にて、
福沢社長の“人上人不造”による庇護の下、
様々な事案にあたり、危険や艱難を潜り抜けることで
何とか制御できるようになったそれではあるが、
この身へ宿る“月下獣”との折り合いがついているのかどうかは、
実のところ自分でも定かじゃあない。
当人でさえ覚えのない “人食い虎騒ぎ”の真の絡繰りに、
何とはなく気づいていたらしい太宰が、初めてその白虎を目撃した折、
総身が虎と化した敦は、
自我も吹っ飛んでいたらしく記憶なんて欠片もなくて。
獣化が残っていた自分の手を見て、大きに慄いて見せたほどで、
その場に居合わせた太宰に襲い掛かったというのを聞いてそりゃあ恐縮したものだったし。
続いての顕現、芥川の黒獣に足を食いちぎられての転変に至っては、
激痛のあまり文字通りの“我を忘れている”状態だったのかも知れず。
虎の凄まじい膂力や鋭い感覚をその身に降ろせるようにはなったれど、
神獣ならではの覇気まとい、他の異能を切り裂き滅することも出来るまでとなってはいるけれど。
ああもうこれはこのまま彼岸へ墜とされるだけやも知れぬというよな危地の淵、
意識界の底のような場所にて、そりゃあ大きな白虎と向かい合う覚えも持つだけに、
あれとボクとは別個の存在なんだろうな、と
若しかして、先々で完全に抑え込んでの制御が出来るようになるのかも知れないが、
それでもやはり、あれはあれで別個の個で。
意気地なしな宿主をいつも冷ややかに見分していて、
自分が不甲斐なくも力尽き、意識を手放してしまったならば、
容赦なくこの身を乗っ取ってしまうのかも知れぬと。
何となくながら、そんな風に把握するようになっており。
今は社長の異能力の庇護の下にいるから、何とか制御できているけれど
ああ、若しも、抑え込めぬほどの怒りに我を忘れでもしたなら、
それは凶暴な獣になってしまい、
岩をも砕く怪力でもって凶器のような爪や牙を振るい、
容赦なく誰かを引き裂き、食いちぎってしまうのかも知れぬ。
何の怨嗟もない相手を、
悪鬼が如く傷つける獣になり果ててしまうのやもしれぬ。
“そういうのは嫌だなぁ…。”
自分で想ったことだというに、怖くて怖くて ざわざわが止まらなくなって。
今にもそんな愚かな想像が現実のものになるよな気がして、
不安が眠気を追い抜いてしまい、
掴みどころのない、しんとした夜陰にくるまれていることで、
ますますと落ち着けなくなって。
夏の夜のざりざりした気配が窓越しに届くだけな、物音のしない空間へ、
この部屋にはなかったはずの、時計の秒針の音が聞こえるような気がして来て。
ああ、あれはあの孤児院にあったんだっけ
暗い廊下の突き当りにあった、子供の背丈ほどもあった振り子時計。
寒くてお腹も空いていて、なかなか眠れなかった長い長い夜を
容赦なく意識させたコッチコッチというあの冷たい音が敦をさいなむ。
いやだなぁ、何でこんなに不安になるのかなぁ
しっかりしてりゃあいいだけのことなのに。
ボクって相変わらず腰抜けの腑抜けなままなんだ。
悪い輩へ腹立てて、偉そうに啖呵切ってるくせに、
実は全然進歩してないんだ。
「…………。」
胸が重苦しい何かで塞がれて、きゅっと閊えていて苦しくて。
少しでも吐き出せないかと、こっそりため息をついておれば、
「……どした?」
頭の上からくぐもったような声がして、
ハッとしたのとほぼ同時、
すぐ傍にあった温みがもそりと動くと、暖かな手が頬に触れる。
溜息というよりは寝息の延長だろう、大きな吐息を一つつくと、
まだ目覚め切ってはないらしい覚束なさで、
今は手套のない大きな手でもって、敦の頭をまさぐるとそこへと口許を埋める。
「どうした、敦。」
小柄な身に見合わない頼もしい手が、
するりと回され、ぽんぽんっと少年の背中を軽く叩いて。
そのままぎゅうぅと抱きしめてくれて。
暗いままなのは同じだのに、
シャツ一枚隔てただけの、相手の温みが密着し、
そうだった、一人きりじゃなかったんだと思い出す。
まだちょっぴり呂律の怪しい低められた声が、掠れているのに頼もしく、
怖い夢でも見たんか?
…いえ。
そんなんじゃないと言っているのに、
それこそ寝ぼけていて聞こえないものか。
縫い包み扱いで頭にしきりと頬擦りされるのが、
幼子扱いで ぎゅむと痩躯を抱きしめられるのが、
照れくさいけど嬉しくて。
ああまで冷えて縮こまってた胸が温かい想いで満たされて、
強張ってた肩も何時の間にか和らいでいて。
まだ早いぞ寝た寝たと、
頭へ回された手で出鱈目に撫で回され。
大丈夫だよと、俺が居るよと、
声はしないがそうと聞こえる、
やさしくて尋深い、兄人の懐ろにくるまれて。
夜の底にて迷子になりかかってた子虎、
何とか今宵の夢の入り口へ、無事に辿り着けそうな気配です。
~Fine~ 18.08.15.
*めるふぉにて、可愛らしいリクエストを頂いたのですが、
看病のお話というと中也さんが熱出した話を書いてたなぁ。
敦くんが凍死しかかった話はご指摘通り中也さん間に合ってなかったしね。
何とかならぬかと書き始めたのですが、熱中症にも縁がなさそうなお二人ですんで、
何だか随分と斜め下な話になってしまいました、すいません。
そのうち挑戦してみますねvv
(携帯サイトでもお声頂いてましたね、そっちももちょっと落ち着いてからね?)
*さてとて…。
その効用というか特徴によって違うのかもですが、
少なくとも敦くんは、自分の異能というものを、
活性化させることでパワーアップされる能力というよりも、
自分の内へ宿った精霊のような存在と、そんな風に思っているよな気がしたのですが。
そして、まだ中也さんの “汚辱”を知らない敦くんは、
自分の懊悩なんか小さかったのだと愕然とするのかも知れませんね。

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